空想映画館

※この映画館の映画は全てフィクションです。

『ゲルニカ』(2019年・日本)と泡盛コーヒー

幼馴染から自家製の泡盛コーヒーをもらった。

泡盛のコーヒー割りだがこれがめちゃくちゃに飲みやすい。

すぐに酔いがまわる。ので映画を観る。

今回はゲルニカ』(2019年・日本)

公開時のキャッチコピーは「芸術は爆発だ

この映画が公開された年、2019年は奇しくもバンクシーの絵が東京で発見されたあの事件が起こった年であった。

 

西日本のある離島で暮らす高校生の哲夫。東京の美大に行き絵描きになることを夢見ながらも、保守的、閉鎖的な集落に暮らす両親からは理解をえられずにいた。

ある日、島に現代芸術家を名乗る男、四郎が移り住んでくる。

島の活気を取り戻すために四郎を煽て利用しようとする大人たち。

島の海の幸、山の幸で、贅の限りを尽くした料理でもてなそうとするが四郎はそれをカップラーメンを食べ始める始末であった。破天荒な芸術家…というよりもその無骨でメタボ気味な中年からは考えられないほどロックンローラーのような感じだ。

しかし、その芸術は荒々しくも繊細で、最初は穿った目で見ていた哲夫は集落の中でただ1人、四郎を本当の意味で認めていく。そして四郎もまた哲夫の腕を認め、彼らの芸術が2人を結びつける。「芸術は心だ」と四郎がいうシーンには彼の不器用さと真っ直ぐな人間性が表されているように見える。やがて2人は奇妙な師弟の関係のようになっていく。

そんなある日、島の老人が偶然手に入れたゴシップ誌に四郎が乗っているのに気がつく。

記事によると四郎が本土で反社会的と烙印を押され芸術界を追放されていた男だということだった。問い詰める集落の大人たち。島の観光化どころではない。保守的な集落の面々は様々に罵詈雑言を飛ばした。政治的、人間的な嘲りに無言を貫く四郎。しかし自らの作品に言及された時だけは違った。

「だいたいお前の芸術なんて意味のわからんものばかりじゃないか!都会で、この島でどんなものを作ってきたのか知らんが、お前の芸術なんて偽物だ!この嘘っぱちめ!」こう詰め寄った男の胸ぐらをつかみ四郎はこう言い放った。

「食ってもねえラーメンのレビューなんてできるのかよ」

食ったことないラーメン。それは見たことのない作品の比喩表現だ。誰も味を知らないままうまいまずいを判断できない。芸術も同じだ見たことがない、触れたことがない作品に何を言ったってそれは根拠のないヘイトスピーチにすぎない。

 

冒頭でバンクシーの絵について触れた。

法律上は落書きで取り締まられるべきものだが東京都は保護し、こともあろうに額縁に入れて飾った。ご丁寧に『バンクシーのものと思われる絵』というタイトルまでつけて。

愛知県で行われた展覧会で市長が座り込みの抗議活動を行い話題になったのもこの年だ。

 

「芸術とは何か」

深く深く横たわるこの問題は未だに答えなき問いで、この映画の主題だ。

それは受け取る人間の感情、教養、常識、良識その他様々な要素によって変わっていくのだろう。そういう意味で芸術とは酷く曖昧なものだ。しかしその曖昧さによって芸術とはきっと輝くのだ。

昨今の日本の芸術に関する姿勢をバンクシーはどう見たのだろう?

顔も知らない彼の冷笑が浮かぶような気がした。

 

今夜も酒が美味い。