『サンタモニカの長い1日』(1971年・アメリカ)とグレンフィディック
アメリカンニューシネマと言う映画群をご存知だろうか?
60年代から70年代にかけて作られたアメリカの映画の総称だ。
それまでハッピーエンドが主流だったアメリカ映画。
その典型例を打ち壊し反体制的や反抗的なテーマを取り込んだのがアメリカンニューシネマである。
特徴として、当時の慣習や常識では信じられなかった常識破りな事をシーンとしていれたり、登場人物に無慈悲に唐突に訪れる死などがあげられる。
有名な作品としては『イージー・ライダー』や『カッコーの巣の上で』などがある。
『サンタモニカの長い1日』(原題:Cafe Santa Monica)もアメリカンニューシネマに属する映画のひとつだ。
重い映画には重い酒を。そう思ってグレンフィディックを開けた。爽やかな香りのするシングルモルト。正真正銘、本物のスコッチウィスキーだ。
あるアメリカの片田舎の町に立つカフェ・サンタモニカ。店主のウィリーは繰り返される毎日に嫌気がさし行った事の無い町、サンタモニカに憧れを抱いている。ある朝カフェに初老の男が訪れ。カフェに訪れた人々と町の住人達が織りなす「普通」の日常を映す群像劇。
この映画にあらすじらしいあらすじはない。
というと語弊があるが、この映画は町の人々の日常を切りとっただけの作品であるのだ。
この映画のテーマは平たく言えば「アメリカという幻想」
それは最初にカフェを訪れた初老の男のセリフに象徴される。
映画は初老の男がカフェ・サンタモニカに訪れるシーンから始まる。男はコーヒーを頼むと店主のウィリーに尋ねる。
「このコーヒーはどこ産のものかね?」
「コスタリカ産ですよ。本物の」というウィリーに初老の男はこう言い放つ。
「本物なんてありふれて曖昧な…しかし本当の物を私は探していたんだよ」
このセリフこそがこの映画の主題のように思う。
当時のアメリカを取り巻いていた事情に思いを馳せる。
ベトナム戦争、学生闘争、公民権運動など今までの社会での常識が打ち砕かれ人々は新しい価値観を求めていた時代。それは今までの「本物」の汎アメリカ的なものの瓦解と新しい「本物」のアメリカという物を模索していくということである。
物語の登場人物も時代に翻弄されていく。
町の名家である敬虔的なキリスト教家族に育てられた娘、マリーは婚姻前に妊娠したことで彼氏ジョセフからも家族からも見捨てられて絶望の淵に立たされる。
ジョセフもそれがきっかけでドラッグのやりすぎで精神を病み半狂乱となり、警官に射殺されてしまう。
家族は上辺で理想の家族を装うが母親は不倫を、息子は学校でいじめを繰り返す。
そんな繰り返される毎日の中でも人々は何かにすがり、それぞれの「楽園」を追い求めている。
人々が模索し、本物を模索していた時代。
その姿はある意味で今と変わらない。
古き良きアメリカという幻想の瓦解を描いた隠れた名作だ。
今夜も酒がうまい。
※この記事で紹介している映画の存在はフィクションです。実在の人物、団体とは関係ありません。