『最悪な選択』(2016年・アメリカ)とバドワイザー
人は人生の中で何度大事な選択を迫られるのだろうか?
人生は選択の連続。進学、就職、結婚。様々な場面で選択が必要となる。
また逆に、選択できない事柄もある。生まれてくる時代や国、肌の色。子は生まれてくる親を選べないし、また親も子を選ぶことができない。なんとも理不尽でうまくいかないものだ。
そんな時はライホルトニーバーの祈りを思い出す。
「神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。」
現代アメリカの思想に多大な影響を与えた彼の言葉に象徴される様に人生には選択出来ることと、運命かのように選ぶことができない物事がある。
近所のコンビニでバドワイザーを買った。
薄い飲みやすいビールだ。夏の暑い日に公園の芝生の上で飲むのに最適な軽薄さだ。
そんなビールを飲んだものだから、軽薄な映画を観たくなった。
2016年のアメリカのコメディ映画
『最悪な選択』(原題:Life of Jack・J・Johnson)
原題を直訳で「ジャック・J・ジョンソンの人生」
なんとも安直なタイトルだ。タイトルからもこの映画の薄っぺらさが伝わってくる。
その名の通り主人公ジャックの数奇で平凡な青春を描いたコメディ映画だ。
簡単にあらすじを書いていく。
カルフォルニアの田舎町に住むジャックは何をやっても裏目に出てしまうオタクな高校生。アメフト部の連中に目をつけられ、いじめられ、平均以下の高校生活を送っていた。そんな彼はある日親友のバリーに持ちかけられ脱童貞を決意する。
くだらないよくあるB級映画だが、どことなく生きる残酷さと悲哀さを感じることがある。
主人公のジャックは生まれながら悲惨だ。
本名はジャック・ジョン・ジョンソン。母の祖父からジャック。洗礼名としてジョンと名付けられる。母親はカトリックの信徒だが、そうではない父親が洗礼名の事がよく分からず役所に申請したため、戸籍上、彼の名前はジャック・ジョンとなる。その名前のため幼少期からいじめの標的にされていた。
高校の最後にイメージを払拭するため「J.J.」と周知するがJ.J.エイブラハムの『スターウォーズ/フォースの覚醒』がクラスで流行していたため結局いじられキャラになってしまうという一連の笑えるシーンでもあるが、よくよく考えてみると悲惨な人生だ。名前という変えられない宿命を背負わされ勝手にからかわれる。「人生は遠くで見れば喜劇だが、近くで見ると悲劇だ」とはよく言ったものである。
とは言いつつもこのコメディがコメディたる所以はちゃんと人間のゲスさを描くからだろう。
ジャックと親友のバリーがクラスのどの女子で童貞を卒業するかを選ぶ、「やりたい女子トーナメント」のシーンは傑作だ。クラスの女子をトーナメント表に書きどっちとやりたいかで決めていくシーンのゲスっぷりは逆に清々しくもある。
他の登場人物もゲスさを秘めているが…これ以上はネタバレになってしまうのでやめておく。
あまり話題作として挙がらない本作。だが映画ファンの間ではあるセリフが少しだけ話題となった。
主人公ジャックとバリーは童貞卒業計画の一部でBBQパーティーを企画。誘ったルーシーがアメフト部の男達を連れてきてしまうと言うハプニングがありながらも長年の蟠りを解消するチャンスとも考え順調にパーティーは進む。ほとんどが計画通りに進みジャックがルーシーと2人きりになりパーティーが盛り上がっているその時、コンロの火の不始末とアルコールで火事となり死傷者は出なかったものの自宅が全焼。
参加者からは恨まれ、家も失った状態で行きつけのコミックカフェでバリーがジャックに尋ねる
「これからどうする?」
力なくジャックが返す
「何度でも蘇ってやるさ。スパイダーマンの様に。新作になってね。」
しかし逆にこのセリフほどスパイダーマンの歴史を端的に表した表現はあるだろうか?
スパイダーマンほど愛され、何度も新作が作られてきた映画はあるだろうか?
つまりスパイダーマンは最高。
今夜も酒がうまい。
※この記事で紹介している映画の存在はフィクションです。実在の人物、団体とは関係ありません。